1948-02-03 第2回国会 衆議院 文化委員会 第1号
内閣の審議室の輿論調査班と申しますのは、終戰後昭和二十年の十一月一日にダイク代將の指導によりまして、まず情報局に輿論調査班というものが設けられまして東大の戸田貞三教授が指導せられて、小山栄三君が班長になつたのですが、その輿論調査班が情報局の解体とともに内務、大藏、農林等の各省に移管されておりまして、それがやがて内閣審議室に移されるようになつたものであります。
内閣の審議室の輿論調査班と申しますのは、終戰後昭和二十年の十一月一日にダイク代將の指導によりまして、まず情報局に輿論調査班というものが設けられまして東大の戸田貞三教授が指導せられて、小山栄三君が班長になつたのですが、その輿論調査班が情報局の解体とともに内務、大藏、農林等の各省に移管されておりまして、それがやがて内閣審議室に移されるようになつたものであります。
本人の申立によりますると、東久邇内閣の當時、總理の私設祕書となり、幣原内閣退陣の際は、第二次東久邇内閣の出現を企圖し、アチソン大使、マーシヤル衆議長、ダイク代將等を訪問した事實があると申しまして、政治家となつて大いに伸びようとする希望を抱いておつたようであります。 第三は復興物資全協連盟事件というのでありまして、これも詐欺であります。